1953年のR収集

1953年旅行記収集結果。

確認できた訪中者は40名強だった。小倉金吾は年表に2回名前が出てくることから比較的長く滞在しているものと思われる。1952年から継続して滞在かもしれない。米川正夫は訪中時期、内容ともに不明。他のRから判別されるかもしれない。明石哲三も記事のタイトルから訪中したものと推測されるが詳細は不明。加藤省三も同じく。

この時期、戦中からの滞在者が多く帰国している。これらの人物の記述、発言を洗い出して含めるか、また含めるとしたらどのような棲み分けにしたらいいか要検討である。しかし1954年以後、訪中者が事前にこれらの情報に接していることを考慮すると蔑ろにはできない。

1953年も非合法での訪中者(犬丸義一)がいる。これもRを書いているようだが、タイトルからは判別が難しいので保留している。また日本共産党の北京機関に出向した人物もRの有無の判別が難しい。これらは純粋な旅行とは言えないので、代表団訪中などとは別の棲み分けが必要だろう。

労組関係、婦人団体は第三国の国際会議で中国側と接触しているケースが多そうである。また、帰国途上で中国を訪問するのが通例であったと思われる。

経済関係者の関心は、日中貿易・日ソ貿易・東西貿易の可能性について言及したものが多い。また、中国の第一次五カ年計画の進捗にも関心は高かったものと思われる。